Jan & Dean Theme From The T.A.M.I Show (Here They Come From All Over The World)

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1965年に出たジャン&ディーンのライブ盤「Command Performance」

ORCHESTRA CONDUCTED BY HAL BLAINEというクレジットも入っているくらいで、もちろん全編ハルのドラムが楽しめる、大盛り上がりのライブ盤….

女の子たちの黄色い歓声に、当時ジャン&ディーンはビーチ・ボーイズと人気を二分していたんだなぁ….と実感します。

このアルバムに入っているTheme From The T.A.M.I Showは
1964年、カリフォルニア、サンタモニカの公会堂で行われたコンサート「The T.A.M.I Show 」のテーマソング。

 

Jan & Dean Theme From The T.A.M.I Show (Here They Come From All Over The World)

 

このコンサートは映画になって劇場公開されていますが、この出演者が凄い!

チャック・ベリー/ゲイリー&ペースメーカーズ/スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ/マーヴィン・ゲイ/レスリー・ゴーア/ジャン&ディーン/ビーチ・ボーイズ/ビリー・J・クレイマー・ウィズ・ザ・ダコタス/シュープリームス/ジェームス・ブラウン/ローリング・ストーンズ

超豪華メンツ!なのですが、バンドを連れてきてない出演者のバック演奏は、レッキング・クルーが務めるというこれまた豪華なコンサートなのです!!

もちろんドラムはハル!そしてピアノはレオン・ラッセル、ギターはグレン・キャンベル、トミー・テデスコ、ビル・ピットマンという….

世界の豪華アーティストをお招きして、音楽監督ジャック・ニッチェの指揮のもと、西海岸の腕利きミュージシャンが責任を持ってエスコートするわけですよ!

観客は招待された地元の高校生だそうで、、、あ〜〜招待されたかった!

↓こちら、全編1時間52分がUPされています。

 

The T.A.M.I. Show 1964 – Full HD Original Electronovision Version

チャック・ベリー×レッキング・クルーとか、レスリー・ゴーアでハルのいいドラムが聴けたりとか、シュープリームスの時はハルがドラムを叩く姿が垣間見れたり、ミラクルズの時にはボンゴ?をハルが叩いていたり、、、、と見所満載!

個人的には、さすがゲイリー&ペースメーカーズはハンブルグ虎の穴出身だけあって、ライブ演奏が安心して見てられるな〜とか、ビリー・J・クレイマーはちょっと気持ち悪いけど、レノン&マッカートニーソング3連発はズルいだろうとか、ストーンズはジェームス・ブラウンの後は嫌だったんだろうなぁ〜とか、色々感想はありますが、とにかく最高に楽しいので、お時間ある時に是非!

あ、ビキニの女の子のダンスもかなりの見所だと思います!

DON & THE GOODTIMES I COULD BE SO GOOD TO YOU

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7/28のレッキング・クルーナイトのお土産CD、楽しんでいただけたでしょうか?
ハルの魅力を伝えるべく、サーフ&ホットロッド〜ガールズポップ〜サンシャインポップ〜ガレージ味もちょっと入れてバブルガムポップまで、幅広く詰め込んでみたのですが….
ドラムだけじゃなく曲もいいものを選んでいたら、すごく個人的な趣味が反映されて、結局ソフトロックな感じになってしまいました。

その中でギリギリまで「これハルかな〜〜〜???」と悩んで、結局外した曲が何曲かあって、その中の1曲がこれです….が、調べていたらメンバーの回想で結局ハルだということが判明しました!あ〜〜〜入れればよかった!

DON & THE GOODTIMES…I COULD BE SO GOOD TO YOU

 
聴いた人を必ず笑顔にしてしまう、「西海岸の美味しいものを全部入れ!」のこのシングル、プロデュース&アレンジはスペクターの鉛筆と言われた男=ジャック・ニッチェです!なるほどね!!

ドン&グッドタイムスはもともとシアトルの、バリバリのガレージバンド。リーダーのドンは、あのキングスメンのメンバーだったりして、すでにローカルのガレージシーンではブイブイいわせてたようです。

ところがメンバーの一部が、同郷のポール・リビア&レイダースに引き抜かれ、ポール・リビア&レイダースが当時やってた人気TVショーにゲスト出演するチャンスを掴みます。

そして67年エピックと契約。これからは全国区だぜ!都会で一旗あげるぜ!!とハリウッドにやってきたのです。

しかしそこで待っていたのが、例のハリウッドのシステム!メンバー歌うだけのバックはレッキング・クルーというやつです。
もちろんポール・リビア&レイダースもそのシステムで一躍大成功!人気者になっているんですから、メンバーも納得するしかないですよね。

メンバーの回想によれば「ドラムスがハル・ブレイン、ギターがグレン・キャンベルとマイク・ディージー、ベースがジョー・オズボーン、キーボードがラリー・ネクテル、有名になる前のライ・クーダーがボトルネック・ギターを弾いた」そうなので、これもダンヒル・リズムセクション仕事、つまりバックはリビア&レイダースと同じということですね!

 

Paul Revere and The Raiders – Kicks

 
ドン&グッドタイムスはこのシングルがまずますヒットしたので、アルバムを1枚、その後シングルを何枚か出しています。

Don & The Goodtimes – If You Love Her, Cherish Her And Such

↑アルバム収録曲ですが、唯一ジェリー・フラーのプロデュース&アレンジ

 

Don & The Goodtimes – Happy And Me

↑同じくジェリー・フラーのプロデュース&アレンジのシングル

 

 

Don & The Goodtimes – Bambi 1967 ((Stereo))

↑こちらはチャーリー・カレロ/リンツァー&ランデルのバブルガム・ポップ
これはわかりやすくハルのドラム!
ジャックニッチェ→ジェリー・フラー→チャーリー・カレロとヒットを狙ってあの手この手を尽くしたのですが、その後結果が出ず….その後メンバー達はバラバラに….残念!一旗あげる夢は叶わなかったのでした。

5th Dimension  Up Up And Away

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ベタベタの大ヒット曲ですけど、この曲は取り上げないわけにはいきませんよね。
もちろんリズム隊はハル・ブレイン&ジョー・オズボーン!

5th Dimension – Up Up And Away

ダンヒル・リズムセクションとして、60年代後半文字通りブイブイいわせることになる、ハル・ブレイン、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテルがタッグを組んだのは、ジョニー・リバースのレコーディングでのことでした。
ジョニー・リバースはミュージシャンとして成功する中で、自分のレコードを発売するためにレーベルとレコード会社を作ります。なぜかって言えば、そうすれば儲けは全部自分のものだから!ジョニー・リバース、見かけ通りの野心家だったわけです。

JOHNNY RIVERS – Secret Agent Man

ジョニー・リバースが作ったそのレコード会社「ソウル・シティ」から66年にデビューしたのが、フィフス・ディメンション。そして彼らの3枚目のシングル「Up, Up and Away」を書いたのは、ジョニー・リバースが「ソウル・シティ」のために契約したソングライター、当時まだ19歳だったジミー・ウェッブでした。

「Up, Up and Away」は大ヒットしその年のグラミー賞を総舐め!そして翌年、全編20歳のジミー・ウェッブのソングライト&アレンジで、傑作2ndアルバム「THE MAGIC GARDEN」が作られたのでした。
プロデュースはボーンズ・ハウ。バックはレッキング・クルー。もちろんハル・ブレイン&ジョー・オズボーン!無垢で夢のようなメロディーとコーラスアレンジ、全てが名曲、名演の1枚です!

THE MAGIC GARDEN – THE 5TH DIMENSION
アルバム唯一のカバー曲。狂ったグルーブのビートルズカバーをお聴きください!

The 5th Dimension Ticket To Ride
ジミー・ウェッブとハルは、ジミーがジョニー・リバースと契約する前からの知り合いだったようです。
65年、コンテッサというほぼアマチュアのガールズグループに曲を書いた時に、レコーディングでドラムを叩いたのがハルだったという…..みんなヒットするレコードを作るために、ハルを呼びたがるんですよね!

THE CONTESSAS – I KEEP ON KEEPIN ON

年齢や肩書きにこだわらず、気さくで優しいハルのことです。このレコーディングの時も、無名ながらも才能豊かな18歳の青年、ジミーにもきっと優しく接したのでしょう。

(バーズのミスター・タンブリンマンのレコーディングの時も、憧れのレッキングクルーに混じって演奏することでガチガチになっていたロジャー・マッギンに、唯一話しかけて、緊張をほぐしてあげたのがハルでした。)
「Up, Up and Away」の大ヒットで一躍売れっ子になったジミーは、その後、ほとんど全てのレコーディングにハルを呼びました。ハルのドラムはもちろん、ハルのことが大好きだったんだと思います(笑)

以下、私の好きな、「ジミー・ウェッブのハル大好きエピソード」

●グラミー賞受賞の際、本来ならば、表には出ない影の存在であるはずのハルの名を挙げて「この尊敬すべきドラマーのこれまでの貢献に皆様拍手を送ってください。」とスピーチ。

●俳優リチャード・ハリスに提供した「マッカーサー・パーク」のレコーディングのため、ハルを急遽ロンドンに呼び出す。超過密スケジュールをどうにかやりくりしてロンドンに来たハル。しかし他のレコーディングメンバーはもちろん、スタジオさえ手配されていない….実はこれは休み無しで働いてるハルに、休暇をあげようというジミーの策略。結果リチャード・ハリスとジミー、ハルの3人は、ロンドンで呑んだくれの10日間を過ごすことに….

ハルのドラムも人柄がよく現れてますが、ジミーも曲同様、無邪気で天然感満載ですよね!

The Monkees Someday Man

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69年モンキーズ的には人気が無くなってきた頃….しかしハルは最も油がのってた時期だ!しかもベースはジョー・オズボーン!!おまけにポール・ウィリアムス&ロジャー・ニコルズの名曲だし!!!その上プロデュースはボーンズ・ハウですから!!!!

The Monkees – Someday Man
レッキング・クルーのベーシストというと、皆さん真っ先に思い出すのはキャロル・ケイだと思うのですが、ハルといえばやっぱりジョー・オズボーン!
キャロル・ケイも素晴らしいベーシスト(ギタリスト)なのはもちろんですが、なんせドラムとベースには相性ってものがあります。
65年ジョニー・リバースのレコーディングでコンビを組んで以来、この最強の2人は向かうもの敵無し!
ルー・アドラーのレーベル「ダンヒル」で大活躍!(キーボードのラリー・ネクテルも含めて)ダンヒル・リズム・セクションと呼ばれて世界中から引く手あまたになるのです。

それではAlternate Mixでハルのドラム&ジョーのベースをご堪能ください….

The Monkees – “Someday Man” (Alternate Mix)

 
The Monkeesは、大当たりしたビートルズの映画(ヤァ!ヤァ!ヤァ!とかね….)みたいなのを、当時新しいメデイアだったテレビでやったら当たるんじゃないか….っていうのが発端のプロジェクト。

メンバーを雑誌広告で大募集、オーディションで4人の若者が決定しました….元祖モー娘ってところでしょうか。
とりあえず大急ぎで曲を準備しなければ!ということになり、メンバーとしては落選したボイス&ハート(アイドルとして売り出すには、歳をとりすぎていたらしい….)が音楽を担当することに。

そこにアルドンミュージックをスクリーンジェムズに売却して、重役に収まっていたドン・カーシュナー御大が、これは儲かるぞと東海岸からやって来て、音楽プロデューサーに就任。

そんな大人の事情の渦巻く中、もちろんメンバーが演奏できるわけがありません。これまたいつものハリウッド流のやり方、スタジオ・ミュージシャンでさっさと録音、出来上がったトラックにメンバーは歌を入れるだけ。そしてモンキーズは一躍人気者になったのでした!

それぞれに夢や野心を持った4人のメンバー(特にマイク・ネスミス)はこれに反発。ドン・カーシュナーを追放して、ほぼ全てを自分たちで演奏した3rdアルバム「Headquarters」を発表するのです。しかしこれがコケて、以後4人がそれぞれにスタジオ・ミュージシャンを使って録音する….ということになります。

そんな複雑な事情が錯綜したせいで、モンキーズの曲は、プロデューサーもミュージシャンもバラバラ。ボイス&ハート絡みの曲はボイス&ハートのバンドが演奏していたり、ドン・カーシュナーが連れてきたブリルビルディングのソングライター(ゴフィン=キング、ジェフ・バリー、ニール・セダカなどなど)がプロデュースしたり、テレビの放送に間に合わせる為に、押せ押せのスケジュールだったせいでしょうか?スタジオ・ミュージシャンの顔ぶれもかなり多彩です。

そんな中でハルのいいドラム!を。

The Monkees – Never Tell A Woman Yes

↑これもベースはジョー・オズボーン!

 

The Monkees – The Poster

↑何気に好きな曲なんですよね〜

 

 

The Monkees – Mary Mary

↑ご存知この曲もハルのドラム!

 

The Monkees Look Down

↑こちらのベースは多才な男、ラリー・ネクテル!

 
しかし本人達が演奏していないというのは、当時ではトップ・シークレット!
モンキーズが録音していたRCAのスタジオは、部外者が立ち入らないように常時警察が警備していたそうです。
今だったら、文春あたりにすぐバレちゃいますよね….

Brian Hyland The Joker Went Wild

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初めてこのアルバム聴いた時、これまるでゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズだな〜と思ったのですが、それもそのはず。
プロデュース/スナッフ・ギャレット、アレンジ/レオン・ラッセル&アル・キャプス….
そう、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズとまるで同じ….

Brian Hyland The Joker Went Wild

 

このレコード、リバティ・レコードから独立して、自分のプロダクションを作ったスナッフ・ギャレット仕事、もちろんゲイリー・ルイス同様ドラムはハルなのです。

ブライアン・ハイランドは1960年の「ビキニスタイルのお嬢さん」のヒットで知られる、いわゆるティーンアイドル。かつてのティーンアイドル達は、ビートルズの登場のせいですっかり流行らない感じになってしまったので、あの手この手の今時サウンドで再ブレイクを狙ったわけです。
というわけで、66年爽やか路線&キラキラサウンドのこの盤、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ好きのあなたもきっと気に入るはず!

Brian Hyland The Genie

 

スナッフ・ギャレット・プロダクションといえば、ローレンス・ウェルク・ショーのアイドル、レノン・シスターズのこの曲収録のアルバムも私のお気に入り。アレンジはアル・キャプス。最高にポップなメロディー&アレンジに、ハルのドラムが炸裂するという理想形!

Lennon Sisters- Kind of hush

 

スナッフ・ギャレット・プロダクション….レコード裏面に、この顔を見つけたら要チェック!
似顔絵….似てますよね!

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Gary Lewis & The Playboys Green Grass

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イギリスのソングライターチーム/グリーナウェイ=クックの泣きのメロディーに、レオン・ラッセルがハリウッド流の魔法をかけたこの曲!

 

Gary Lewis & The Playboys Green Grass

バーズ、タートルズよりちょっと前の64年、リバティ・レコードからデビューしたのがゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ。

ゲイリールイスは有名なコメディアン、ジェリー・ルイスの息子。そのジェリー・ルイスが、近所に住んでたリバティ・レコードのプロデューサー/スナッフ・ギャレットに「息子が高校の同級生とバンドをやってるんだけど、どうにかならないかね?」と相談したことからデビューが決まります…って何かすごい話ですよね。
ご近所って言っても、そんじゃそこらのご近所じゃないですよ、ビバリーヒルズの豪邸ですからね。

スナッフ・ギャレットは、このお坊ちゃん達を、当時アメリカで大人気だったハーマンズ・ハーミッツのハリウッド版に仕立て上げようと考えたようです。育ちはいいし、ハンサムで清潔感もあるし、悪くない…あとはスタジオでいつものやり方で曲を録音すればいいのです、そう!レッキング・クルーを使って!

そして今回もハルが呼ばれました。アレンジを担当したのは(ピアノ、ハープシコードも演奏)売れっ子スタジオミュージシャンでもあるレオン・ラッセル。

当時19歳だったゲイリー・ルイスとバンドメンバーは、コントロールブースから、レッキング・クルーの演奏を目を丸くして見ていたそうです。

そして録音された This Diamond Ring はいきなり1位を獲得!そしてその後も、スナッフ・ギャレットのチームはキラキラなヒット曲を量産していくのです。

 

 

 

こちらも、いかにもハル!って感じの1曲
Gary Lewis & The Playboys – Count Me In

カバーですけど、ハルのドラムに聴き惚れる….
Gary Lewis and The Playboys-Runaway

 

 

 

ボナー=ゴードン作、ニック・デカロのアレンジ
Gary Lewis & The Playboys – Girls In Love

 

スナッフ・ギャレットのチーム以外でも、アレンジにニック・デカロ、アル・キャプス、プロデュース&アレンジにジャック・ニッチェなど、間違いない布陣で作られたゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズのシングル&アルバムは、まさに60年代ハリウッドのおとぎの国サウンド…..

そしてもれなくハルらしいドラムがたんまり聴けるという、夢のようなシロモノなのです。

THE TURTLES Makin’ My Mind Up

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ハリウッドが全力でブリティッシュインベンションからの巻き返しを図った65年、ホワイト・ホエールと契約したのが、バーズ同様ディランをカバーし、フォークロックを掲げたタートルズです。
御多分に洩れずこちらもメンバーは演奏していません。ヒットするレコードを作るには、演奏を素人に任せるわけにはいかない…..プロ(レッキング・クルー)がスタジオで時間内にきっちり仕事をしてくれればいいのです。それがハリウッドのやり方!ハルはファーストからドラムを叩いています。

 

 

 

THE TURTLES Makin’ My Mind Up

 

この惚れ惚れするハルのドラムから始まるアルバムは、タートルズ最大のヒット Happy Together 収録の3rd、プロデュースはボーンズ・ハウ。

ボーンズ・ハウといえば、フィフス・ディメンションやアソシエイションでおなじみ、ハモリを録らせたらピカいちのプロデューサー。そしてもとはと言えばハウは、ユナイテッド・レコーディング社のエンジニアで、フリーになってからはルー・アドラー絡みのジャン&ディーンや、ママス&パパスの録音を手がけてきた人。本当に間違いないんです。

そして当時のハリウッドのプロデューサー達同様、ハルのドラムに惚れ込んでいた…..に違いありません!このアルバム、こんなに大きく録る必要があるのかってくらい、とにかくドラムの音が大きい!グッドメロディー、美しいハモリ、そしてチャーミングなハルのドラムを堪能できる大好きな1枚です。ありがとうボーンズ・ハウ!

 

Me about You by The Turtles

THE BYRDS I’LL FEEL A WHOLE LOT BETTER

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THE BYRDS  I’LL FEEL A WHOLE LOT BETTER

64年のアメリカヒットチャートはひどいものでした。

ビートルズを筆頭に、マンフレッド・マン、ピーター&ゴードン、ビリー J. クレーマー & ザ・ダコタス、デイブ・クラーク・ファイブ、ハニカムズ、アニマルズ、ゲイリー&ザ・ペースメーカーズ…

チャートはイギリスのバンドに席巻され、アメリカンポップスや、あのスペクターサウンドまでもが、あっという間に時代遅れになってしまっていました。

この状況を、アメリカのレコード会社が指をくわえて見ているわけがありません。
売り上げを取り戻す為には、ビートルズのような新しいサウンドで、イケメンな若者バンドを売り出さなければ!
レコード会社各社は、有望なバンドの青田刈りに走り回ります。
そして翌65年、老舗コロムビアと契約したのがバーズでした。

しかし、頭の固いコロムビアの重役たちは、ロックンロールというものに対して嫌悪感を抱いていたので(あれは音楽じゃない、病気だ!…なんて言ってたそうです)この契約に関しても疑心暗鬼でした。本当にあんなものが売れるのか?売れるかわからないものに、お金と時間を使うわけにはいかないんだよ…

というわけで、契約はまずシングル1枚、それがヒットしなければクビ…そんなシングルのプロデュースを任されたのが、テリー・メルチャーです。
かつてブルース&テリーとしてサーフ&ホットロッドのレコードを量産したテリーは、コロムビアの中で、唯一ロックンロールのレコード製作の経験者でした。

失敗は許されないこの状況下、レコーディング経験の浅いバンドに演奏させるなんてありえないこと。テリーはいつものレッキング・クルーを使って Mr.Tambourine Man を録音しました。唯一、ロジャー・マッギンの12弦リッケンバッカーを除いて…

結果 Mr.Tambourine Man は大ヒット!バーズはファーストアルバムを録音することになります。
Mr.Tambourine Man の録音の時は見てただけだったバーズのメンバーが、アルバムの残りのトラックは演奏している…ということになっていますが、実際はどうでしょう?
少なくともマイケル・クラークはドラムを叩いていないように思います。だってこのアルバム、どう聴いても全部ハルのドラムですから…

Sam Cooke Another Saturday Night

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土曜の夜なのに、友達も彼女もいない…なんてこった。
このまんま、金使うの手伝ってくれるかわいこちゃんが見つかんないと
オレ、この街を吹っ飛ばしちまうぜ…

Sam Cooke-Another Saturday Night

この曲の歌詞、実はひやっとするくらい悲しくて孤独なんですが
ハル特有の明るいドラムと、サム・クックの歌が、なんとも言えない泣き笑い感を醸し出してて好きな曲です。

サム・クックのレコーディングでドラムを叩いたのは、主にアール・パーマーで、ハルはこの曲と「NIGHT BEAT」(名盤!)だけのようです。
Twistin’ The Night Awayはアール・パーマーですが、過度に出しゃばらず、締めるところは締め、全体を支えるような安定感のあるドラムです。それと比べてこのハルのドラムのよく喋ること!メロディーに沿ってサムと一緒に歌う勢いです!

前に出てくるドラム…これがハルの特徴で、曲を聴いてるとついドラムに耳が引っ張られる…そうやって気になってるうちに、最終的にハルのドラムばかり聴いている自分に気づくという…

レッキング・クルーのドラマーというと、アール・パーマー、ハル・ブレイン、ジム・ゴードンなんですが、この3人の違いを私なりに説明すると

● アール・パーマー → 安定感、頼れる大人
● ハル・ブレイン → 明るい、おしゃべり、優しい
● ジム・ゴードン → 真面目、暗い

あくまで個人の感想です(笑)そう、私ジム・ゴードンはあまり好きではありません。

 

サム・クックとレッキング・クルー、意外なようですが実は深い関係があります。

そもそもキャロル・ケイがジャズクラブの演奏者を辞めて、子供向けの野蛮な音楽と思われていたロックン・ロールのスタジオミュージシャンになったのは、57年、デビュー当時のサム・クックのレコーディングにスカウトされたことがきっかけでした。キャロルは「サマー・タイム」「ワンダフル・ワールド」などでギターを弾いています。

ルー・アドラー(のちのダンヒルレコード社長)とハーブ・アルパート(のちのA&Mイケメン社長)はもともとキーン・レーベルの専属ソングライター・チームで、サム・クックに曲を書いていました。(Barbara Campbell名義)
大ヒットしたWonderful Worldも、私の好きなOnly Sixteenもこの2人の曲だということは、最近知りました。
こうやって調べてると「好き」が繋がっていくっていうのが面白いですよね。

THE HONEYS HE’S A DOLL

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Honeys – HE’S A DOLL

 

Gold Star Studioのエコーたっぷりのハルのドラム、お約束スティーヴ・ダグラスのサックス、浮遊するコーラス、なり続ける謎のカスタネット….まさにサーファーガールズ ミーツ ウォール・オブ・サウンド!

64年「Be My Baby」を研究し尽くしたブライアンが出した答え….という意味で、これはもう1枚の「Don’t Worry Baby」でしょう。
「Don’t Worry Baby」は馴染みのWestern and United録音ですが、こちらはGold Star録音….ブライアンの本気を感じます。

ハニーズは、マリリン(ブライアンの彼女→奥様)とダイアン姉妹&その従姉妹のジンジャーの3人組。62年ブライアンと出会って以来、彼女達もまたビーチボーイズやジャン&ディーンのバッキングコーラスをやりつつ、数枚のレコードを出しています。

Beach Boys – Be True To Your School
シングルバージョンはハニーズのコーラス入りなのでお得な感じ!

マリリン&ダイアン姉妹は、70年代に、やはりブライアンのプロデュースによるスプリング(のちにアメリカン・スプリング)として、シングル数枚+アルバム1枚をリリースしていますが、ドラムはハルじゃないのでここでは割愛。これも大好きですけど。

 

そのかわりに、もう1枚最高の Surfer Girls meets “The Wall of Sound“を。

Westwoods – I MISS MY SURFER BOY TOO

歌うはマリリン&グラシア・ニッチェ。プロデュースはジャック・ニッチェ。もちろんドラムはハル。

この曲、The Trade Windsの New York’s A Lonely Town のアンサーソング…..というのも最高すぎます。
このレコード、何年も探してる1枚です。手放してもいいよ…..という方が万が一いらっしゃいましたら、是非ご一報ください!